武井怜のこの世は遊び場

歌人、随筆家の武井怜のブログです

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【蛾じゃ弱い】

10月30日(木)


【蛾じゃ弱い】
おやつを買いに行くついでに、おべんべんにたばこを買ってきてほしいと頼まれた。
たばこを吸わない者がたばこを買うときの緊張感というものがある。母はセブンイレブンに行くときに父にたばこを頼まれ、「マイルドセブンひとつください」と言うつもりが「セブンイレブンひとつください」と言ってしまったという。母もその緊張感を覚えていたのだろう。
成人しているのに、たばこを買うときに緊張するのは少し損をした気分になる。自分のものではないからか、何も嘘をついていないのに嘘をついているような感覚に陥るのだ。
今日もローソンのレジに着くまでおべんべんのたばこの銘柄を、九九を覚える小学2年生のように頭の中で繰り返し、レジで「発表」のごとくそれを発した。ところがその銘柄をちょうど切らしているとのことだった。おべんべんはこんなときどれを買うんだっけなぁと思い出そうとしたが、店員に怪しまれたくなかったため、わかりましたといって店を出た。
私は頼まれたおつかいもできないのだと塞ぎ込みたくなかったため、少し歩いてファミリーマートに向かうことにした。
さすがにもう頭の中は、たばこの銘柄を繰り返さなくなっていた。かといってそこは空きもせず、次々といろんなことが入ってくる。そしてパスタのことを考えていたとき、私の右耳のそばで、ブーンという音と共に虫がやって来たのだ。私は混乱し、激しく頭を振った。程よく遠くから見ていた人がいたら、いきなりロックになった私とはすれ違うことをやめただろう。
たばこはないし、虫に驚かされたのだ。こうなると逆にあと一歩ほしくなる。と思っていたら、本当に起こったため少し驚いた。
ファミリーマートで無事たばこを買い終え、マンションに着いたのだが、マンションのドアの内側で、一匹の大きな蜂が飛んでいたのだ。蜂は、ドアに一瞬とまってまたすぐに飛ぶ、というのを一連の動作としていた。ドアを開けたら刺されるかもしれないと思った私はマンションに入ることができず、ドアの外側で立ち尽くしていた。蜂の様子をうかがっていると、位置的に隣の児童館の中を覗いているように思われそうで、そういう意味でもこわかった。私は蜂のせいでここにいるということを児童館の人達と通行人にわかってもらいたくて、ピエロ初心者のような動きと表情をしていた。
蜂が疲れたらしく、ドアに静止した。その姿をよく見てみると、その虫は蜂ではなく蛾であった。たばこはないし、虫に驚かされる、にもう一歩ほしいと思っていた私は、蛾じゃ弱いと思った。