武井怜のこの世は遊び場

歌人、随筆家の武井怜のブログです

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【あのことが申し訳なくて、あなたを守ることにしました】

11月1日(土)


【あのことが申し訳なくて、あなたを守ることにしました】
6年ほど前、当時の恋人の家族に挨拶をしに行った日の夜に、みんなで居酒屋にごはんを食べに行った。サラダを選んでほしいと頼まれた私は、いつも居酒屋ではシーザーサラダを注文していたため、「じゃあ、シーザーサラダを」と言おうとした瞬間に、彼の母親が、「シーザーサラダって、うんちみたいな味するわよね」と言ったのだ。
彼女のその発言が、あと0.1秒でも遅ければ、私は恋人の母親に、うんちの味が好きな人と思われるところであった。更には恋人の母親に、うんちを食べた気にさせてしまうところだったのだ。それは相手が恋人の母親であろうと、住所変更しているのに「住所変更していなきゃ、そりゃあ届きませんよ」と鼻で笑う郵便局員であってもしてはならないことである。私はあのとき、「シーザーサラダ」と言わなくて良かったと心から思った。
今発行しているフリーペーパーにも書いているのだが、私には、ジェイク・ネルソンというアメリカ人男性の幽霊が取り憑いていると思っている。ジェイクが私に不幸をもたらしてくる現実もあるのだが、逆に前述のシーザーサラダの件のように、絶対に何かに守られていると感じることもあるのだ。
ジェイクとは対照的に、私を守ってくれる「何か」の心当たりといえば、祖父か助けたツバメか、飼っていたインコだ。ただ、祖父が健在だった頃から守られている感じはした。ツバメも、長いこと「助けた」と自負しているが、助けたのはツバメが死んでからであるため、正確には助けたわけではなさそうだ。よって、インコ説が有力か。ただインコは、私が子供の頃に飼っていたということもあり、恨まれるような思い出は数多くあっても、愛されるようなことをした覚えはない。よって私は、そもそもどうして彼らが私を守ってくれているのではないかと思っていたのかがわからなくなってきた。
それにしても今日まで6年間、何も不思議に感じなかったのだが、「うんちの味」とは一体。私が知っている変わった味というのは、「バスのにおいの味」どまりである。と思ったが、子供の頃、インコに口の中に糞をされたことがあった。鳥のではあるが、私こそ本当のうんちの味を知っていたのだ。
そうか、それだ。そのことを申し訳なく思っていて、いまだに私を守ってくれているのか。やっぱりインコだったのか。