武井怜のこの世は遊び場

歌人、随筆家の武井怜のブログです

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【一人暮らしの年配の方】

4月13日(月)

【一人暮らしの年配の方】
いつもよりもたくさんごはんを食べた気がして、これじゃあ寝る前のもちぷよを食べるときにいつもよりも気にしてしまうと思ったから、夕ごはんを食べた後、散歩に出掛けた。
マンションを降りて左に進んでしまうと、ピンク色の吐いたものがあることをお昼に見て知っていたから、迷わず右側に進んだ。
少し進んだところで、おじいさんがかがんでいたから大丈夫ですかと声を掛けた。
おじいさんは転んで動けなくなってしまったと話した。だから家にいたおべんべんも電話で呼び出して、おじいさんをお家まで送ることにした。
おじいさんは八十九歳で一人暮らしだと言っていたから、その日のことだけじゃなくて、おじいさんの日常のことがものすごく心配になった。そのときもスーパーから帰る途中だったみたいで、袋をふたつ持っていた。
お家に着くまで、おじいさんは私達にずっと、すみません、すみません、と謝っていた。
めまいがするとも血圧が上がったとも言っていたから、歩くだけでも大変だと思うのに、そんなときにまで私達に気を遣ってくれて、変なタイミングかもしれないけれど、優しいおじいさんのことが大好きになったし、心から心配になった。
前にも、途中で歩けなくなってしまった年配の方と遭遇して、その方を手伝ったときは、途中で近所の方が気づいて、その人が「どうしたの?」と声を掛けた感じが、日頃から近所同士で助け合っているふうに思えた。
この前のおじいさんに近所づきあいのことは聞かなかったけれど、近所の人が気にかけてくれているといいなと、本当に思う。
私達くらいの世代、少なくとも私は、知らない年配の方に声を掛けたら、なんとなく叱られたり、変な空気になったりしそうな気がしてこわい。だから「手伝いましょうか」と声を掛けられなかったことも今まであった。
だけどこの前も、その前も更にその前も、声を掛けてみると年配の方は優しく答えてくれた。この前のおじいさんに至っては、早く休みたいだろうに、家に着いてから玄関先で私達にビールをくれて、おじいさんを自分のおじいちゃんみたいに感じられるほどに仲良くなれた気がした。だから、こわがらないで大丈夫だと思えてきた。
それと、どこまで気に掛けたらいいのかがわからないということもある。
帰ってから、何かあったときのために私の連絡先も置いていくべきだったかと考えた。
せっかく会えたのだから仲良くなりたいし、心配だから今後も気にかけたいけれど、「助かる」と思ってもらえることと、「おせっかい」の境界線がわからない。これをしたらかえって迷惑だろうなと思ってしなかった、ということがその日もあった。
孤独死が問題視されている中で、一人暮らしのおじいさんを身近に感じた日だった。
小さい頃お兄ちゃんに、「怜はお母さんに褒められたくて手伝ってるだけだろ」と言われた。バレたか、と思った。だけどそれを聞いていたお母さんが、「それでもいいじゃない」と言った。
偽善かもしれない、とか色々思っても、理由はなんでも、困っている人がいたら、自分が出来る限りの範囲でいいから、助けた方がいいに決まっている。