武井怜のこの世は遊び場

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【細い道の人々】

4月29日(水)

【細い道の人々】
私が八歳のときまで住んでいた家の左斜め前に、人がなんとかひとり通れるか、下手したら通れないかくらいの細い道があった。
お姉ちゃんとお兄ちゃんと私は家の前で、その道から出てくる人達に、奥田民生に似ているから「ユニコーン」、露出狂だから「ミスターチン」などとあだ名をつけていた。
いつも通るから「いつもさん」というあだ名のおじさんがいた。いつもさんは稲川淳二に似ていた。
ある日、家の前でひとりで遊んでいたら、いつもさんが通りかかって、私に千円札をくれた。
タイミングが悪かった。それまでの私は引っ込み思案な子供で、そのときだって絶対にお母さんに相談なしではお金を受け取らなかったはずなのに、その数日前にお母さんに、「子供は遠慮しなくていいの」と言われていたから、ちょっと子供らしくふるまおうと思っていたときだった。
だからいつもさんが差し出した千円札を、私はためらうことなく受け取った。
いつもさんが去ってからお母さんにこのことを話したら、「知らない人からお金を受け取っちゃだめでしょ」と叱られた。
いつもさんのあだ名の由来は前述のとおり、いつも細い道を、つまり我が家の前を通るからだ。
だからいつもさんに再会するのは全くといっていいほど困難なことではなかった。
翌日、いつもさんが家の前を通ったから、私はすぐにお母さんを呼んだ。お母さんはいつもさんに、「この子に千円札をくれたそうで・・・」と話をしたら、いつもさんは「いや、私はあげていませんよ」とシラを切って去って行った。
あだ名をつけていたのは人間相手にだけでない。近所には野良猫がわんさかいて、彼らにも私達兄弟は、あだ名というか名前をつけていた。私達というよりも、あだ名や名前を考えるのが得意なのは主にお姉ちゃんだった。
「ミーコ」という猫らしい名前から始まったかと思ったら、ミーコの親には「きったなミーコ」と、お姉ちゃんは名付けた。きったなミーコの姿は覚えていないけれど、この名前では汚らしかったとしか思えない。シャーと鳴く黒猫でシャークロとか、ちょっとオシャレ系もいるのかと思えば、「デブ」という率直過ぎる名前の猫もいた。
大人になってからお母さんから聞かされた話によると、デブが家の前を通るたび、私達三人は「デブが来た、デブが来た」と騒いでいたらしい。そして偶然にも、デブといつも同じタイミングで、例の細い道から現れる女性がいたらしい。だからその様子を見るたびにお母さんは、「デブの『猫』が来たね」とフォローするのに必死だったらしい。
「つむら」っぽいから「つむら」というあだ名のおばあさんもいた。
私達兄弟三人は、「つむら」の響きの面白さからか、つむらが通るたびにくすくす笑っていたら、ある日つむらに本気で叱られた。
その日の夕方、お母さんがお詫びのサンマを持ってつむらの家に謝罪に行った。
話していくうちに、つむらは私のクラスメイトのおばあちゃんだということが判明したらしい。すこぶるバツが悪かった。
その一年後、私達家族は市内に引越したのだけれど、なんとつむらも、同じタイミングでその近所に引っ越して来た。当時お姉ちゃんが毎月買っていた漫画「ちゃお」で、「根に持つタイプ」という言葉を覚えた頃だった。