武井怜のこの世は遊び場

歌人、随筆家の武井怜のブログです

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【ひとつの時代が終わろうとしている】

5月22日(金)

【ひとつの時代が終わろうとしている】
右胸に外側からの痛みを感じた。この痛みの感覚は初めてではなかったから原因は明確だった。ブラジャーのワイヤーが布から飛び出ていたのだ。寿命だ。
服に左手を突っ込み、カマキリでいうところのハリガネムシを取るように右胸からワイヤーを引っこ抜いたら、案の定痛みは消え、六畳の部屋中に散乱していたマトリョーシカが一つに収まったときほどの爽快感を覚えた。スマイリーの口型のワイヤーを見ると「何かに使えそう・・・」と思い、いつもひとまずテーブルに放置しておく。
これで私のブラジャーが絶滅した。今私が持っているブラジャーで、生き生きとしているものはひとつもない。ルーキーを呼ぼう。
とは言ったものの、お母さんが服飾関係の職場で働いていたから、下着を自分で買った記憶がない。だから今私の中で、「下着を自分で買わない時代」が終わろうとしているのだ。
下着屋さんでブラジャーを吟味しなければならない。恥ずかしい。お店に着いて一番最初に目にとまったブラジャーをかっさらって完了ならばいいのだけれど、最初に目にとまるブラジャーは、ほとんどの確率で店の入り口に展示してある客寄せパンダ的ブラジャーのはずだ。そこに私の求めるAカップがあるはずがないと見ている。貧乳は、「夢見るブラ」とか「恋するブラ」とか、本来ならばブラジャーができるはずのないことができる選ばれしブラジャーズがきらめく店内に入り、「A」を探し出さなければならない。
例えばこれがコンビニ弁当なら、手にとってカロリーを見てどっひゃーという顔をして棚に戻すことができる。どっひゃーの部分を抜きにしても、ブラジャーでそれはできない。
ブラジャーを眺めているだけで、その様子を見た人達がそれについて何か考えるとするならば、「今見つめてるブラジャーをつけている自分を想像しているんだろうな」ということだと思う。手にとって見つめた後、それを元の位置に戻すなんてしたら、「私がこのブラジャーをつけているところの想像が完了しました。」と、ご丁寧に申し上げているようなものだ。そして「結果、不向きでした」と。
悔しいけれど、通販か。