武井怜のこの世は遊び場

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【先輩に学ぶ】

12月8日(月)

【先輩に学ぶ】
野良猫ペロンチョウの縄張りに向かったのだけれど、ペロンチョウはちょうど小学生の女の子に話し掛けられているときだった。
女の子越しに見たペロンチョウの顔は淀んでいた。
私は、ペロンチョウはその子よりも私の方が好きだとわかっただけで充分だった。
少し進むと、突き当たりで七、八十代の女性がひとり立ち尽くしていた。
彼女の目の前には上り坂があった。
私は彼女が困っているのかもしれないと思って声を掛けた。
「お、おぶりましょうか?」
いきなりそう言って彼女に近寄ったわけではない。
「大丈夫ですか?」と声を掛けたら、疲れてしまって坂の上の自宅までたどり着くのが困難になってしまったという。
「お、おぶりましょうか?」は、そのときに出た言葉だ。
その案はいい感じにスルーされたけれど、今思えば咄嗟に出た言葉であって、人をおんぶできる自信なんて私にはなかったから、「じゃあお願いします」と言われていたら、彼女を自宅じゃなく、病院に送ることになっていただろう。
坂の上まで、一戸建ての家が右にも左にも数軒建っていた。家の人を呼んできてほしいと頼まれた私は、坂を登りながら彼女に教えられた苗字の表札を探した。
同時に、家の人に彼女のことを何て呼べば失礼じゃないかを考えた。
おばあちゃん?
なんかなんか。
お家の人?
うーん。
おばあさん?
「坂の下で、おばあさんが困っています」
英語のテキストに出てきそう。
お家の人?
うーん。
おかあさん?
「坂の下で、お母さんが困っています」
誰の?
お家の人・・・
よし、お家の人!
でも「お家の人」って言葉、おかしくないか?
一時期の別所哲也の、「ハムの人」みたいなものか。
繰り返すと、日本語おかしくないかと思うこの「お家の人」だけれど、無難な表現だと思って採用した。
そのとき、後ろから「大丈夫?」という声がした。
声の主は、彼女の自宅よりも手前に暮らす五、六十代の男性だった。
彼は自宅から出てきて、私に「あとは任せてください」と言った。
「お家の人」こと彼女も気が変わったのか、私に「ありがとうございます、大丈夫です」と言って、ゆっくりと坂を登り始めた。
私は男性の隣で、彼女が進むのを、彼女のプレッシャーにならないかと気にしながら見守った。
男性が、「いつも運動不足解消のために、時間をかけてでもこうして自分で歩いているんですよ」と私に教えてくれた。
私は午前中、ベッドでうつ伏せになりながらパソコンが使えるようになるちょうどいい高さの台を、ベッドでうつ伏せになりながら、手の届く範囲で探していた。
結局おべんべんが洗面所から、使っていない洗濯カゴを見つけてくれた。
これで携帯を使うことも、それの充電をすることも、マンガを読むこともテレビを見ることも、そして仕事をすることまでもがベッドで寝たままできることになり、「いよいよ私はクソ人間だ」とおべんべんに豪語していた。
男性の話を聞き、「すごい・・・」と言いながら、私はそんな自分を恥じた。
「大丈夫?」と家を出てきた男性に、「いいご近所関係ですね」と言おうと思ったけれど、今その話は関係ないと思ったから言わず、「毎日が罰ゲームみたいなところに住んでますね」とはもっと言わず、ふたりに頭を下げて、女性が上る坂道を私は下った。