武井怜のこの世は遊び場

歌人、随筆家の武井怜のブログです

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【夜おでんの日は昼シャケ弁】

10月29日(水)

 

【夜おでんの日は昼シャケ弁】

1日のうちに、同じ種類の食べ物を食べ過ぎていないかと気にしてしまう。例えば朝ごはんに菓子パンを食べたら、その日はそれ以降、極力菓子パンを摂取しないようにしている。

菓子パンや揚げ物ならわかりやすい。菓子パンは「菓子パン」という姿をしていて、揚げ物はジューシーなコートを羽織っているからだ。厄介なのは「すり身」である。魚のすり身が魚に見えるのならば、アルプスの少女ハイジ賭博黙示録カイジに見えるだろう。魚のすり身はビフォーの要素ゼロで変身を遂げているため、パッと魚だとは思いづらいのである。

夕飯の献立を、昼に近所のスーパーで買ったおでんに決めていた。おでんこそ、魚のすり身の集合地帯である。ダシのプールを共有する彼らは、鱗を身にまとっていたくせに、それらはおすすめサロンの永久脱毛のごとく消え失せ、嫌いだったのか、目玉も背びれもない。海が実家のくせに、「海?私達ダシのスープしか知りませんけど」ととぼけている様子を見ると、そうやってずっととぼけていなさいよと思う。

昼食を終え、夕方、百円均一に買い物へ出た帰り道、私はあることに気がついた。昼にシャケ弁を食べたのである。しかしシャケはまったくもって悪くない。すり身が悪いのである。すり身が魚に見えないせいで、私はうっかり、昼も魚を食べてしまったのだ。これで夜におでんでも魚を食べたら、魚の食べ過ぎになるのではないかと気にし始めてしまった。すり身がわかりやすく魚の姿だったならば、このようなことにはならなかったのだ。

しかし、この失敗は以前にもしていた。こうなると、すり身だけのせいとは言い切れなくなる。どうして私は同じ過ちを犯してしまったのか考えた。そしてひとつの、ある仕組みに気がついた。

私はおでんを、同じスーパーでしか買わないのである。そしてそこのスーパーに行くと、毎回シャケ弁を買うのだ。しかしおでんを買う日は、おでんに魚が入っていると気づいていたならば、シャケ弁は買わない。繰り返すが、おでんには魚が入っているが、その姿は「すり身」であり、魚だという事実がわかりづらいのである。そのため、おでんを買った日も、うっかりいつものようにシャケ弁を買ってしまっていたのだった。過ちを2度と繰り返さないために、おでんは魚料理と覚えておくことにする。