武井怜のこの世は遊び場

歌人、随筆家の武井怜のブログです

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【当日大ピンチのときは】

11月21日(金)


【当日大ピンチのときは】
何かを続けることが、今の私には大切な気がして、この文章は毎日続けていこうと思っている。そのため途切れないように、あらかじめ携帯のメモ欄に文章を書きためておいている。
先ほど、今日の分の文章をパソコンに送るため、「11月21日(金)」というタイトルのメモをタップして驚いた。日付以外、何も書かれていなかったのだ。
片桐はいりは、笑っていいとも!のテレフォンショッキングの日に寝坊をし、危うく友達の輪を途切れさせそうになった。彼女を今まで、私が好きな荻上直子監督の映画作品も含め、いろいろな場面で見てきているが、テレフォンショッキングの件以来、私の中で片桐はいりはいつまで経っても、友達の輪を途切れさせそうにした人という印象が最前面にくるのだ。どうせテレフォンショッキングに私は呼ばれなかったし、片桐はいりの件は他人事である。しかし、他人事であるにも拘わらず消えない印象を残す、「続いていたものを途切れさせる」ということ。私は続けてきている文章を途切れさせたくない思いは当然あるが、それに加え、文章を途切れさせるわけにはいかないと思った。
高校時代、演劇部に所属していた。部内では、学年ごとに劇を披露する機会が定期的にあったのだが、いつだったか、何が原因だったのかも覚えていないが、私の学年は予定していた劇の演目を、当日の朝にやらないことにしたのだ。
文章を書いておいてアレだが、私は大好物のピザでさえも、辛くなければなんでもいいと言って、おべんべんに注文を任せるような、自分の意見をあまり持たない人間で、高校時代も、部内では毎日のように、部員で円を作って座り、劇の内容についてのことなどを中心に話し合いの場を設けていたのだが、私は仲間達がしっかりとした意見を述べていく中で、うなずいてばかりいたのだ。
しかし、当日に演目変更という大ピンチに見舞われたあの朝、たしか劇自体やらないという意見も出ていた中で、私は「この状況をそのまま劇にしよう」という案を出し、それが採用されたのだった。
今日、開けてみたら文章が空であった出来事に直面したときも、私はまた、「この状況を今日の文章にしよう」と思い、それであの日のことを思い出したのだが、何なのだろう、この、当日大ピンチのときは、この状況をそのまま表現しようと思いつく癖は。