武井怜のこの世は遊び場

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【お母さんvsお茶っ葉の会社】

4月27日(月)

【お母さんvsお茶っ葉の会社】
そういえば私達はいつも「選んで」生活をしているなと思った。
朝起きるときも、「起きる」という選択を自分でしている。私はごはんとか着るものを、何が食べたいのか着たいのかわからないから選べないことが多くて、よくおべんべんに聞くけれど、それでおべんべんが選んでくれたものを食べたり着たりするかしないかは自分で決めている。
だから本能的な部分以外、基本的には生きている限り、みんな全部自分で選んで生活をしているのだと思う。
何かそれにつながることで書きたいことがあったのだけれど、ここまで書いていて忘れてしまった。だからうちのお母さんがお茶っ葉を販売している会社とケンカをした話を書くことを「選ぶ」。
お兄ちゃんが、うちのお母さんはお客さんとしてはめんどくさい人だよと言っていた。
たしかにお母さんの口から、「あの会社とケンカした」と聞いたことが何度かあった。学校から帰ってきたら、お母さんが電話をしていた相手に、「あなたに怒っても仕方ないのはわかっているんだけどね、私もう悔しくて悔しくて」と、泣きそうな顔でお客様問い合わせセンターの人に話しているのを見たこともあった。そのときはその場面が衝撃的で他のことを考えられなかったけれど、あれはどんなレベルのクレームだったのだろうと、今更気になってきた。
私が小学生のとき、お母さんは「買ったお茶がまずい」と言って、その販売元の会社にクレームの手紙を送った。
例えばそのお茶にうんこが入っていたからまずい、ということだったらほとんどの人がクレームを入れるだろうけれど、そのお茶には特に何の問題もなくて、お母さんは単純に個人的にまずいと感じただけでクレームをつけた。
子供の頃、私はお母さんがすることは全部正しいことだと思っていた。だけどさすがにこのときはちょっと、お母さんは間違っているんじゃないかと思った。そう考えると、お客様問い合わせセンターの人に泣きべそをかきながら話していたクレームの内容も、「クリアファイルを舐めたら苦かった」みたいなものだったのかなと思う。
数日後、その会社から返事の手紙が届いた。
そこには、お母さんのお茶のいれ方が悪いのだと思うから、一度家に行っていれてあげますよ、ということの丁寧版が書かれていた。
お母さんは手紙を握りしめて、「何こいつ!?」と何度も言ってものすごく怒っていたけれど、私とお兄ちゃんはお腹を抱えて笑った。